今日も、

「ダンディズム」という「美」意識について考える | 株式会社カルヴォ 松本圭司

というテーマでお届けいたします。

今回はvol.2ということなのですが、vol.1は下記リンクからご拝読いただけると幸いです。

「ダンディズムとは、やせ我慢である」

ところで、この段田一郎が追い求める「ダンディズム」とは何だろうか。

読者でこの問いに即答できる人はどれくらいいるだろうか。

困った時のWikipediaがあるじゃないかってことで、早速引用してみたい。

”「ダンディ(英: dandy)は、身なり・巧みな言葉づかい・余裕ある趣味といったものを特に重視しながら、あくまで無頓着を装ってそれらを追求し、自らに陶酔する男や女の精神を指す。ダンディは、とりわけ18世紀後半から19世紀前半にかけての英国で自発的に生じ、中産階級の出自にかかわらず貴族のライフスタイルを模倣しようと励んだ」”

とのことだが、ポイントは「あくまで無頓着を装ってそれらを追求し、自らに陶酔する男や女の精神」ってところだろう。無頓着を装ってということは、つまり自然体でなくてはならないと解釈できそうだ。

また、ドラマの中ではことある毎に、昭和・平成に渡って数々のヒット曲の歌詞を手掛けた作詞家・阿久悠の名言が登場する。

「ダンディズムとは、やせ我慢である」

ううむ、なかなか大変だ。だが、なぜ人間の本能に反して「やせ我慢を自然体でする」のがいいのか。答えは簡単だ。「モテる」からだ。そこに理由や根拠を求めたところで永遠に答えは出ないし、意味は無い。

話は変わるが、3年ほど前にビジネスマンを中心に売れた本があるのをご存知だろうか?

山口周著「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」(光文社新書)

という本だが、この本の内容を筆者なりに超要約すると以下の通りになる。

・ここ数年、欧米のビジネスマンたちを中心に従来、信奉されてきた「論理」「理性」といったサイエンス(科学)的な思考から、「直感」「感性」といったアート的な思考に重心が移りつつある

・なぜなら「サイエンス偏重の意思決定」が行われてきた結果、あらゆる市場で類似商品・類似サービスが出現し、企業では粉飾決算や情報操作などが頻発している。また、今日のように複雑で不安定、また技術革新が爆速で進む世界において、サイエンス的な見方では到底乗り切れない

・このような先行きの見えない時代では全体を直覚的に捉える感性と、自ら打ち手を創出できる構想力や想像力が必要

・論理的にシロクロのはっきりつかない問題について答えを出さなければならない時、最終的に頼れるのは個人の「美意識」しかない

この本では頻繁に欧米の事例が引用され、まさにお笑いコンビのタカアンドトシばりに「欧米か!」とツッコミたくなる箇所もあるが、ほぉー、へえー、と恥ずかしながら読むまでは知らなかった事実に接することがあった。

例えば、論理的に考えてもはっきりシロクロがつかない問題の代表である、政治や外交について欧州のエリート養成校、例えばオックスフォード大学では、長らく文系・理系を問わず、歴史と哲学が必修科目になっているそうだ。この点は日本の高等教育とは大きく異なる点だと思う。

こうして見ると、ダンディズム発祥の地と、エリート養成に解の無い「哲学」を採用しているのが「イギリス」であったことは偶然ではない、というより必然とも感じられる。そもそも国の文化として直感と感性を育てる土壌があると言えそうだ。

対して、日本はどうだろうか。

筆者は日本に美意識を育てるような機会が教育機関から提供されているという認識はない。日本庭園を訪れたり、美術館巡りをすることによって、自ら美意識を養うことをしている人もいるかもしれないが、場合によっては「美意識」というものの存在を意識することもなく、一生を終える人もごまんといるだろう。

一昔前のビジネスマンはTUMIのバッグを持つことがイケてる基準だったような気がする。飲み会の帰りには間違えて他人のTUMIを持って帰ってしまいそうなくらい猫も杓子も、TUMIだった。だが、そこに考えがあったって感じはしない。とりあえず他人と同じものを持って安心するのというのがいかにも日本人的な感じだった。筆者も経験したことがあるが、街中で自分が持っているモノと同じモノを持っている見知らぬ男がいると、初めは「おっ、アイツもか」ってなるが、やがてあまりにも同じモノを持っている男を見かける回数が増えると、「またか」とイヤになってくる。

経営戦略の要諦は「他人と同じことをしない」と言われるが、ダンディズムも自分が「これだ!」というものを見つけ出すことが最終目的地かもしれない。

カナダの著名な経営学者ヘンリー・ミンツバーグによると、「経営は『サイエンス(科学)』と『クラフト(実行)』と『アート(美意識)』が混ざり合ったもの」であり、また山口さんはこの3つのバランスが大事だと言っている。

ぶっちゃけ、皆さんの多くが使っているApple社のiPhone(アイフォーン)と類似のものを作る技術はそれほど難しくないらしい。でも買い替え時期になるとどうしてもまた最新版のiPhoneを買ってしまう人も多いかもしれない。それは恐らくだが、無意識のうちにAppleの美意識に共感、場合によっては陶酔しているからかもしれない。面白いモノ・サービスを創出する組織は「サイエンス」「クラフト」そして「アート」が上手くバランスされている。

実はこれは個人でも同じことが言えるのではないかと考えている。ロジカルに考える「サイエンス」な側面、抜け目なく物事を推し進める「クラフト」な側面、そして独特な感性を持ち合わせている「アート」な側面が一人の男に内在させることが面白い男を創るのではないかと思う。そしてその「アート」を説明する必要もないし、説明もできないだろう。

先述のドラマ「俺のダンディズム」の中で、本当のダンディズムが発揮される場面がある。段田の上司である部長が女子社員にストーカーまがいのことをしていることを段田が知り、それはダンディではないと噛みつく。部長は将来の社長と目され、歯向かうことにより出世の道が絶たれるのにも関わらずだ。ロジカルに考えたら上司に楯突くなど、サイエンス的ではない。しかし、アイテムだけを揃えても「ハリボテ」ダンディにしかならないのだ。

コロナ危機により、コロナ前よりも不自由を余儀なくされる我々だが、本能で行動したいところを「やせ我慢」しながらも、「自然体に見せて」過ごすのが、今最もダンディなヤツなのかもしれない。